ボクはいつも、独り取り残されていた。
美希さんはいつでも、ボクのとって大人だった。
高校二年になった今のボクにも、美希さんは大人で、
追いつく事の出来ない自分にたまらないもどかしさがあった。
それは、まさに今。
蝉すら鳴かない灼熱の孤独。
人影のない夏の午後、影はイヤなぐらいに濃くアスファルトに焼き付けられていた。
静寂と焼けたアスファルトの臭い。流れすらない滞った熱。
かすかな脱水症状から来る頭痛。
どこかで、東京は砂漠だと聞いた事が有ったけど、実感が伴ったのは初めてだった。
今までのボクの全ては、美希さんの影の後追いに過ぎなかった。
美希さんが卒業した学校に入学し、有りもしない、存在するはずのない彼女の影を探す。教室、放課後、文化祭… かつてここにあっただろう、彼女の影。
見つけたのは、資料室に有った美希さんの年のアルバムだけ。
卒業アルバムに焼き付けられた影。文字通り、ただの影だった。
それは美希さんの思い出。
それは、ボクと美希さんの思い出。
いや、コレはボクだけの思い出…
7年。
絶望的に遅く生まれたボクに出来る事は、これぐらいだったから。
生まれた時から恋をしていた。
ずっと、ずっと恋をしていた。
届かない彼女に、かなわない恋をしていた。
今、通う彼女の卒業した高校でも、ボクは彼女の影を探す。
きっと、卒業までずっと。ずっと…
孤独と暑さから逃れるため入った喫茶店は、外と隔離された世界だった。
ヒヤリと澄んだ空気と、柔らかな音楽。あたりを包むコーヒーの香り。
エアコンの冷気が肺にスルリと滑り込み、少し咽せた。
「光ちゃん」
ボクを呼ぶ声がした。
数ヶ月会っていなかったけど、すぐに美希さんだと解った。
喫茶店の奥で、ブルーのスーツに身を包んだ彼女がボクに微笑みかけている。
「オアシス…」
澄んだ水を湛えたオアシスに、ボクは見とれてた。
時間も香りも空気も、全てが止まってた。
ボクの心臓さえも止まっている様だった。
「うん? どうしたの?」
「いえ、なんでもないです…ゴメンなさい」
全てが動き出した瞬間、ボクは謝っていた。
「もう、光くんはすぐに謝るんだから。いいよ、そんなに気を使わなくて」
彼女はボクに微笑みかけた。
胸元まである髪が頬からスルリと広がり、宙に緩やかな弧を描いた。
「ここ座らない?」
「え、ああ…いいんですか?」
「うん、いいよ」
机の上に置いてある資料をイスの上に移すと、彼女はポンポンと叩いてみせた。
「外、暑かったでしょ?」
「ええ、すっごく」
ボクは座りながら答えた。
久しぶりに会った緊張から、彼女と目を合わせる事は出来なかった。
「いいなぁ、高校生ぐらいだと日焼けもそんなに気にならないし」
「美希さんは日焼けしないんですか?」
「シミになるの怖いからね」
「ご注文は?」
氷の浮いた水をテーブルの上に置きながら、背の大きなマスターが声をかける。
「えっと…アイスコーヒーを…」
ボクはメニューも見ずに答えた。
「はい、少々お待ち下さい」
柔らかい声でそう答えるとマスターその場を去っていった。
「ねえ、高校は楽しい?」
「ええ、楽しいですよ」
そう笑顔で答えながらも、そう感じた事はなかった。
いつも、いつでもボクは彼女の影を探しているから。
「彼女は出来た?」
大きな瞳が、ボクの顔をのぞき込んでいる。
ボクは、彼女の瞳が好きだ。真っ直ぐで、深い色をしていて…
もし彼女の瞳がが泉なら、ボクはこの恋で熱くなった体を沈めよう。
涙を零すことなく、静かにこの身を沈めゆっくりと溶けてゆきたい。
「いいえ。ボク、もてないですから」
「光くん、奥手だもんね」
彼女は大きな目を少し細めて微笑み、ボクは、ボクの心の中で瞳に漂った。
「そうですか?」
「大人しいから。可愛いからきっと、彼女なんてスグに出来るよ」
美希さんはいつも、ボクに“大人な答え”をくれる。
それが、ボクには少し辛い…
「ボクは…」
「好きな子ぐらいはいるんでしょ?」
言葉を遮って美希さんはボクにそう聞いた。
「…………」
あまりのタイミングの悪さに言葉を失った。
もし、あのまま言葉を続けられていたら、自然と“好きな気持ち”を伝えられたかも知れないのに…
「意地悪かな、私」
「お待たせしました、アイスコーヒです」
大きめのグラスに注がれたアイスコーヒーが、ボクと美希さんの間に割って入った。
「あ、ああ、はい」
と、間抜けな返事をしてしまう。でも、さっきの美希さんの言葉って………
美希さんはアイスコーヒー越しにボクに笑いかけ、「可愛い…」とつぶやいた。
何も言えなかった…。
ボクは何も言えないでうつむいていた。
そういう美希さんの“大人”な部分がボクをずっと過去に置き去りにしてしまう。
ボクは、テーブルに視線を落とし、グラスの作った水たまりを見つめる事しかできなかった。
ボクは、どういう人間なんだろう?
ここに居る人たちに、ボクはどう見えて居るんだろう?
こんな何も取り柄のない高校生と、OL……
「ずっと、気が付いてたよ」
「えっ……」
心臓が高鳴った。何にずっと気が付いていたの? ボクが影を追い続けていた事?
彼女は、ボクの隣の席に座ると耳元でささやいた。
「私の事、好き…でしょ」
空気を含んだ彼女の言葉に、音が消えた。言葉も消え去った。
ただ彼女の、その一言が頭の中に鐘のように響き渡った。
彼女の指が春に舞う蝶のように、ワイシャツの襟から忍び込み鎖骨をなぞる。
「もう、大人なんだね」
まだ乾いていない汗を潤滑油に彼女の指は胸の上で輪舞曲を踊る。
こんな所、誰かに見られたら…… 見られたら… ボクは言うべき言葉を見つける事が出来ずに押し黙った。
「私ね、ずっと気が付いてて、何もしなかったの」
綺麗に整えられた爪が、胸の上で動きを止める。
「光くんはどうなの?」
何も答えられないボクの胸元から指は蝶のように舞って離れ、彼女の唇に留まった。
柔らかな唇は、静かにカタチを変える。
「フフ…」
その唇から離れた指先は、ボクの唇の前まで来て留まる。
「ね、指にキスして…」
蝶の魔力に操られるように、その細い指先にゆっくりと口吻る。
その瞬間、指先は生き物のように唇を割り、舌先からゆっくりと撫で舌の上にくるりと円を描いた。口の中に、自分の汗と彼女のかすかな味が広がる。
彼女はもう片方の指先で髪の毛を掻き上げながら、ボクの口から指を引き抜く。
舞う蝶は“すぅ…”っと銀色の糸を引く。
彼女は上目遣いで、自らの唇に運ぶ。
ゆっくりと指先はピンクの唇に吸い込まれ、少し艶を帯びた
「間接キス…」
彼女の唇が小さく空気をゆらし、そう語った。ボクは彼女の唇から目を離せなかった。
「子供の頃から…、一緒に遊んでた頃から私も光くんの事好きだった」
「最初は弟みたいだったけど…」
指先は唇から音もなく離れ、動きを止めた。
「あの頃から、光くんは私の事、恋の視線で見ていたでしょ」
思い出せる限り昔から、ボクは美希さんをそういう視線で見ていた。
それは今も変わっていない……
「ずっと待ってたの… でも、もう待てない…」
「だって、光くんを内気な性格にしちゃったのは、私たちの関係だもの」
「光くんから見て私は、ずっと大人だったから好きって言えなかったんでしょ?」
ボクは、うなずいた。
彼女は、小さく耳元でささやいた。
「私の部屋に行こうか?」
一口も口を付けていないアイスコーヒの氷がカランと音をたてた。
クーラーの効いた店内でも、氷と、何かはゆっくりと溶け出している。
「でも…」
何かを言おうとしたボクの言葉は、キスで奪われた。
「でも、ボクはそんなつもりじゃ…」
アパートの鍵を開けている彼女にやっと出たのは、そんな間抜けな言葉だった。
「貴方がそんなつもりじゃなくても、私がそんなつもりなの」
トビラが開くと美希さんはボクの腕を掴み、縺れるように部屋に押し込んだ。
背中に、絨毯の感触がひんやりと伝わる。
彼女はボクにまたぐような姿勢になり、美希さん以外の視界は奪われた。
捲れたスカートの下から、ストッキング越しの下着が見える。
美希さんはボクに覆い被さるよう倒れ込み唇を重ねた。
柔らかな唇と、数本の髪の毛の感触。
ファンデーションとシャンプーの香りが、ボクの全てを支配する。
美希さんの指先が、ボクのワイシャツのボタンを外しはじめる。
ひとつ、ひとつ外すたびに、キスは激しさを増していった。
ボタンを全て外し終えるとキスは止まり、美希さんがゆっくりと顔を上げる。
唇から数本の髪が揺れていた。
「色白で、女の子みたい…」
美希さんの手のひらがボクの胸を撫で、体温がボクに溶け込む。
スルスルと肌のすれる音が、薄暗い玄関に響く。
指先が、ふと動きを止めた。
「光くん、こんなに固くなってる…」
美希さんがボクの胸にキスをする。舌先が、固くなった部分をゆっくりと転がす。
「うっ……あっ」
つるような感覚と共に、固さを増している…初めての感覚。
「こんなに固くして…… エッチ…」
彼女は胸にキスをしながらスーツの上着を脱ぎ、自分のシャツのボタンをはずした。
「ねえ、私にも触って…」
細い指がゆっくりと手に絡みつき胸へと誘い、肩のストラップの無い下着の上から押し当てる…
夢の中では柔らかさしか無かったが、今ここには、熱と重さと弾力があった。
「……うんっ…」
手のひらの中で、胸のカタチが変わる。
「大丈夫? 痛いの?」
「ううん、痛くないよ… 感じてるの」
下着越しに、美希さんの胸が尖ってきているのが解った。
ボクと同じく感じてる…
「ね、直に触って………」
下着を上にずらすと、乳房がフワリと零れる。
ボクは、こわれ物にふれるようにその輪郭をなぞった。
指先がゆっくりと、ゆっくりと肌に吸い込まれてゆく。
天を指した尖りにキスをすると、美希さんの甘い香りが広がる。
指先で膨らんだ乳輪をなぞり、甘い香りを貪る。
「うんっ……あっ……」
声を漏らしながら、彼女はボクのベルトを外しファスナーを下ろす。
細い、白い指が、ボクに絡みつき淫靡に扱きはじめる。
「うんっ……」
声が漏れる。
「こんなに熱くて、固くなってる……」
彼女は“ぱさり”とボクの上に倒れ込み、ストッキングを破る音が聞こえた。
その音は、あまりに異質で、ボクの心をザラリと撫でた。
その瞬間、彼女は腰を落とし、ボクを中へと押し込んだ。
「うんっ…………ぁっ………」
熱と抵抗と感触と熱。体の中心を支配する、未知の感覚。
「入っちゃった… 私たち、ひとつになっちゃった…」
顔を上げた彼女には汗と涙が浮かんでいた。
細い輪郭をなぞり“ぱたぱた”と零れ、ボクの胸に溶けていった。
玄関の扉に反射した弱い光の中、下着に紅い血が広がるのが見えた。
「美希さん… 大丈夫?」
「うん…」
彼女の指が、ボクの髪をかきむしるように掴む。
彼女は、顔に息がかかる距離から囁いた。
時間が止まっているように感じた。
「どう? 気持ちいい」
かすかに振るえた声。痛みに耐える、か細い息が頬を撫でる。
「う、うん…」
頭の中が、いっぱいで。
何でいっぱいか説明できないけど何かでいっぱいで、そう答える事しかできなかった。
「光くん、私ね、ずっと好きだったの」
ゆっくりと動き始める。彼女も、時間も…
「貴方の事、ずっとこうしたかったの…」
「ボクも、美希さんの事…」
美希さんの涙が、ぽろぽろと零れはじめる。
ボクは何も言えずに、ただ、彼女の動きに答える事しかできなかった。
「うっ…… ううん………」
殺した声は頭の中で大きく響き、数倍心に響いた。
そして、感じる全てはそれ以上になった。
「美希さん…… ボク… もう…」
「まって、中には…」
か細く彼女が言う。
それでもボクは止まらなかった。それでも僕らは止まらなかった。
「ぁっ……あああっ ああっ」
白くなった。何も無くなった。
ううん、違う。彼女だけそこにあった。彼女と完全に一つになった。
彼女の内股にしたたる、血と混ざった白濁した液体は、その証だった。
彼女は指先でその証に触れ、ぺろりと舐めて見せた。
「いけないんだ… 高校生がこんな事して…」
僕らはそのまま玄関で抱き合っていた。
頭の中には靄がかかり、するべき事も、かけるべき言葉も見つからないままだった。
「ねえ…」
ボクの胸に顔を埋めたままの彼女が呟いた。
「もう、自分で自分を縛ったりしなくていいんだよ」
「………」
「貴方はずっと、思ってたでしょ?」
「私と… こんなに年が離れていたらうまくいかないって」
「そんな、自分で自分の事縛ってる姿、もう見たくないよ」
彼女の言葉でボクは解った。ボクは、自分を縛ってた。
彼女の影を探す事しか自分には出来ないって。
でも、それを無くした時、ボクは何が出来るんだろう…
「出来るのかな… ボクに」
「出来るよ、絶対」
彼女はふふっと笑うとこう付け加えた。
「だって、ずっごく気持ちよかった」
ボクは言葉を失い、耳が“かーっ”と熱を帯びた。
「光くん、可愛い」
ボクはもう彼女の影を追わない。だって彼女はここに居るのだから。