「・・・ところで、一つ聞きたいのですが」
くいっと、わたしの顎を引き上げ、紀氏が言った。
顎が上がった形になったせいで粘着質のそれが落ちることもなく気持ち悪い感触が居座っている。空気に触れたせいか、嫌な臭いも鼻に入ってくる。
「貴女、男を受け入れたことは?」
覗き込む眼で。
不躾も甚だしい。
けれども今のわたしはそう思っても逆らうことは許されていない。
「・・・ない」
「処女、ですか」
「・・・そうだ」
別に、そのことを特にどうこう思ったことはない。わたしは男に興味がないし、だからといって変な道具を使うことは・・・それで失ってしまうことはあまりにも嫌だった。
けど・・・こんなことになるんだったら・・・
「なるほど。これは面白い・・・」
何が面白いのか、その言葉の意味に反感を覚えながらわたしはそれを聞いた。
そしてわたしの顎に指を走らせる。自分の汚液を紀氏は指先ですくった。
自分で汚いと思わないのか、それを指先に絡めてこの男は顔色一つ変えない。
むしろそれを目の前に押し付けられたわたしの方が顔を背けていた。
「・・・そんな汚いもの、おしつけるな」
殺した小さい声で。
それでも精一杯の反抗。
わたしは思ったとおりに口にした。
「汚い、ね・・・繰り返すの趣に欠けるとは思いますが・・・しかし、貴女の方からお願いだから舐めさせてくれと言うでしょうね、これから」
「ふざけるな!!! わたしは身体を自由にしろとは言ったけれど、けど、それだけだ!!! わたしの心まで触れる権利はない!!!」
「・・・ごもっとも。それでもわたしの権利の中で貴女は自分から口にするんですよ。その言葉をね」
「・・・・・・そんなわけ」
どんなことがあってもそんなことをわたしから口にするわけがない。するわけがない・・・はずだ。
けれども、これまで散々わたしの心をかき乱しているこの男には髪の毛一筋も逆らうことは・・・そう、頭でどんなに考えていても・・・
そして、また、それは繰り返された。
「さて、この指を押し込んだら処女懐妊となるんでしょうかね」
目の前に押し付けられて。
「え・・・」
妊娠?
赤ちゃん?
セックスもしないで、妊娠・・・
わたしは女だ。女の性を持って生まれた人間だ。
一月に一度訪れるそれがどれほどの重荷なのか、そして同じぐらいにアイデンティティを構成するものなのか・・・もちろんそれが全てと言うわけではないのだけれども、非常に大きな意味合いを持つ・・・それが、今、この指で・・・
紀氏は、あの人間の規格から外れた笑みを浮かべ、その指先をゆっくりと下げて・・・
「いや・・・止めて!!! そんなことしないで!!!」
押し当てられた、その感覚が恐怖を呼び覚ました瞬間、わたしは叫んでいた。
まだ・・・まだ、無理矢理犯された結果としてならば理解できる。納得はできないにしろ頭ではわかる。けど、そんなんじゃなく、一度も男を受け入れることもなく、ただその精液だけで・・・
もう、吐き気を催すとか、そういうレベルじゃない恐怖が背筋を音速で這い上がってきていた。
口に含んで射精させた。そのことがまだまだ生易しく思えてくる。
あれを、舐めたんだ。
意識したわけじゃないとしても半分は飲んだんだ。
それを考えれば・・・舐め取ることぐらい・・・
「では、どうしますか?」
勝ち誇ったような、下司な笑みを。
自分の頬を流れ落ちる熱いものが涙だということにわたしはとうとう気付かなかった。
「舐める・・・舐めさせてください・・・お願いします・・・」
「・・・よくできました。さて・・・貴女が汚いというこれを、改めて口にしていただきましょうか」
「・・・・・・」
逆らえない。和恵のためにも。
和恵がこの男に同じような目に合わされたりしたら・・・
「ゆっくりと味わってくださいね。感想を聞きますから」
・・・・・・
その言葉が、一気に喉の奥に流し込んでしまおうという唯一の希望すらも摘み取った。
けど・・・もう・・・
嚥下してしまった半分も胃の縁から吐き気を催す汚臭を吐きあげているというのに。
舌先に指が擦り付けられる。生臭い苦味と塩気が舌に広がった。
それは本能が否定する味・・・精神的な毒そのものだった。
それを唾液でぼやけさせる。薄める。その筈なのにウイスキーが水を得て初めて香りを開花させるかのように・・・何をしてもそれは、圧倒的なオスのフェロモンを押し付けがましくわたしに絡ませてくる。
吐き出すこともできずに・・・必死に飲み込んだ。味わいたくなんかないから。
「・・・どうですか、味の感想は」
「最低だ・・・こんなの・・・」
怪しい眼の光・・・この空間自体が野卑な笑い声をあげているかのよう。
あまりにも惨めな自分自身をなおさらに突きつけられて痛いぐらいに涙が眼に滲んだ。
「なるほど。ごもっともですね。でも・・・」
「!?」
何度目かの驚愕か・・・まだ神経が焼ききれていなかったらしい。
腰砕けの形で座っていたわたしはたちまちにして床に押し付けられていた。さっきと同じように大きく脚を開かされていた。
違うのは紀氏の顔がわたしのスカートの中にあるということで・・・
「ここを溢れ出させながら喜んで舐め取るようになった娘をわたしは知っています・・・」
そして。
「きゃあ!!??」
何かがわたしの中に入ってきた。
硬くて人間の体温を有したもの・・・
身体が異物を受け入れざるを得ないとき特有の反射反応が全身の筋肉を硬直させる。血管が縮んでか、波立つように鳥肌が立った。
「おやおや。指一本とはいえこんなに簡単にもぐりこんでしまうとは」
淡々と結果だけを。
言いながら、ゆっくりと引き抜いていく・・・それがわかってしまうことが恨めしかった。
否定できない、粘着質の何かがその指が出て行こうとするのを引きとめようとしてること。
なんで・・・なんで・・・何一つ気持ちいいことなんてなかったのに・・・
「止めろ・・・止めてぇ・・・」
「何故です? 貴女の身体を自由にしていい、そういう約束ですよ、しのぶさん」
「でも・・・だからって・・・」
そう。力尽くで無理矢理の方がどれほど救われただろう。
今は押し付けがましく与えられる快楽よりも肉体的な苦痛の方が何倍も有難かった。
だって、今は、これは・・・わたしの心を蝕む・・・
感じてしまっているという事実が、否定できないからこそ。
ごめん・・・和恵・・・もう、会えないかも知れない・・・
「事実に眼を背けることは好ましいとは言えませんね。仕方ない、きちんと認識してもらいましょうか」
耳元で。わたしの存在をただの実像としてだけ捉えた声が。
「ひ・・・」
本能的な恐怖。
自分の意識以外のものが自分の身体をコントロールするという事実。
そしてそれは信じて身を預けるものではなく。
指が・・・入る。そして・・・引き出される。
その度に認めたくない・・・認めざるを得ない・・・淫らな液の弾ける音が響いた。
捲れて・・・巻き込まれて・・・その度に・・・
にちゃ、にちゃって。
否定しきれない快感が津波のようにわたしを襲う。
荒々しさをうまいぐらいにオブラートにくるんで見せ掛けの優しさがわたしの奥から溢れるほどに引き出している。
ビリビリって体中に響く。
こんな男に弄ばれても感じてしまっている・・・ううん、違う・・・
これは・・・本当は和恵が・・・だから眼をつぶって・・・そう・・・本当は和恵がわたしを・・・
だから、ほら、こんなに気持ちいい・・・
「はっ!?」
逃げていた一瞬。本当の事実を思い出してぞっとした。
わたし・・・気持ちいいって思った。心の底からそう思った。安心できる気持ちよさだって自分で認めた。
それは恐怖と屈辱と・・・ううん、そんなものじゃない、圧倒的にどろどろとしていて熱い本能的な何かがねっとりとわたしの中から湧き上がってきて・・・
「少しは素直になってきたようですね・・・ほら、遠慮しないで声にしていいんですよ?」
「そ、そんなこと・・・」
「もちろん『身体だけ』というお話ですから命令じゃありませんよ。貴女の自由意志で声を出してもいいというだけです・・・こういう言い方だと貴女は反抗するでしょうけどね」
余計な一言、しかもそれは真実であり、またそういう風に言葉に出すことでわたしが意固地になってしまう性格だということ・・・そう、誰でもない、わたし自身の束縛でわたしが苦しむさまを見ようとしている。
二律背反的に膨らみあがる本能と知性との確執を演出し、それに悶えるわたしを楽しもうとしている・・・わかっていて逆らえない。事実を屈服させることも屈服させられることもわたしには不可能で許しがたいことだから。
そんな、より追い詰められた心がより加速させるのだろうか。与えられる快楽はより純酪に全身の神経に絡みつき蕩けるような脳内麻薬が全身の全てを現実味から遊離させて快楽だけの、ただそれだけの宇宙を構成させる。
ぐちゅ・・・ぐちゅ・・・う・・・
その音はより大きくなってきている。自分の身体のことなのにどこか遠い国の出来事であるかのように現実味を帯びていない現実。ただほんの少しだけ、もうそれに触れるだけで消えうせてしまいそうなわたしのプライドだけが意識を繋げている。その代償としてこれ以上ないぐらいの肉体的な切なさと精神的な苦痛をわたしから貪りとって。
和恵にだって・・・和恵にされたってこんなにまでなったこと、ない・・・
異常な舞台設定がそうさせるのか・・・それとも『本来ならば自然な』セックスの形がそうさせるのか・・・全てが、呼吸し、取り込む酸素すらもわたしの中で限りないほどの熱量を爆発させている。
「いや・・・あ・・あ・ぁ・・・」
その熱量に促されて、とうとう声が漏れてしまった。
そしてそれに気付いて意識するともうどうしようもなくなっていた。
「もう一本挿れても大丈夫のようですね・・・もっとも、それで膜が破れてしまう可能性はありますが」
「ああ、やめて・・・お願いだから、ひっ、そんなの・・・」
嬌声だった。心はともかく身体が喜んでいる。快楽に溺れていることを声の響きが示している。
言葉の意味とは裏腹に加速するその指を喜んでいる。もっと深く受け入れたいと身体の奥から熱い何かが強く訴えている。ぶるぶると震えるほどに強烈な波動はわたしに意識を蕩けさせるのに十二分だった。
その指に処女を奪われてしまうのかもしれない。それすらも快楽に加速を与える。そんなこと・・・認められない、認めたくない!
わずかな、そうほんのわずかに残されたプライドだけが。
気持ちいいという言葉を必死に食い止めている。
食い止めている。
けれどもこの不利すぎる戦いは・・・両者がアンビバレンツに、他者の存在を許しがたいものにしている以上・・・もう、結果は見えていた。
指なんかに奪われるぐらいなら・・・さっき口にもしたし飲み込みもしたんだ・・・だから・・・あの大きくて熱いものを・・・きっと、指なんかよりも何倍も気持ちいい・・・
そして、とうとうその言葉がわたしの口から出かかった、ちょうどそのとき、
「あ・・・」
その指が、何の前触れもなく引き抜かれた。
見えなくとも・・・いやらしい液が名残惜しそうにその指と繋がっているのがリアルにわかるぐらいに。
「お望みどおりやめましたけど、ご不満な様子ですねぇ」
くっくと、かみ殺したような笑い声を深く響き渡らせて。
その指をわたしの前に見せつける。
自分でもわかるほどに粘着質に白くなっているそれが指で弄ばれている姿はとても正視できるものじゃなかった。
そして、その指がなんでわたしの中にないのかという想いも。
「結構古典的な手段ではありますが、その分確かに効果がある・・・さて、貴女の場合はどうでしょうか?」
「き、きさまぁ・・・」
わざとだ。わざわざ言葉にした・・・そう、さっきと同じように。
もう大勢は決まっている・・・けれども最後の最後、そう自分のプライドを自分でもぎとるという行為を『私自身の意思で』行わせる・・・それに抵抗する術はもうないとわかっていながら・・・
熱い。身体が熱い。じんじんと何かを求めている。
何か、圧倒的で決定的なものを。
もうそれをわかっている・・・そう、和恵でも足りない・・・そう、この男でなくてはならない・・・
ぼろぼろと涙が零れていた。もう、止めようがないほど。
今日の今日まで意識したこともないのに。
今だってどうしようもないほどに憎んでいるのに。
それなのに・・・こんなやつに・・・こんなやつにぃ・・・
二階まで押し上げられて梯子を取り払われたら・・・もう、なす術なんかない。頭を下げて頼み込んでその梯子をもう一度かけてもらう・・・その結果、二階どころか三階、四階へと押し上げられることになっても・・・
「そんなに眉間に皺を寄せて・・・そういう姿も悪くはないですねぇ。じっくりと紅茶でも飲ませてもらいながら眺めさせていただくとしますか」
顎ががくがくいっている私の顔を覗き込んだ後、紀氏がそう言い放った。そして何の名残も残さぬそぶりですっと立ち上がった。
「あ・・・」
今・・・今、止めなかったら本当に行ってしまう・・・
紅茶を飲むのにどれくらい時間がかかるのか・・・わからないけど・・・けど、あと一分でも私は耐えられるの・・・
耐えられないんだったら・・・今、言うしか・・・
「お、お願い・・・」
言葉は堰を切ったかのように溢れ出た。
「耐えられない・・・今のままじゃ耐えられない・・・お願いだから・・・続きをして・・・ください・・・」
屈した。完全に屈服した。
最後の最後の皮一枚の薄っぺらなプライドまで。
目の前の快楽に・・・生殺しに屈服したんだ・・・
「ほう? わたしがわざわざ自分の権利を放棄してやめてあげたというのに、しかもわたしが紅茶を飲もうかというタイミングでそんなことを言ってくるなんてねぇ」
ふざけてる。全部、わかっていて言っているくせに。その証拠まで、証言まで自分でしているくせに。
それでも・・・それを理由として今の言葉撤回できないわたし・・・
「まぁ、貴女の言葉を借りれば下司野郎のわたしですけどね、そこまでして頼まれたことをしないほど鬼ではありませんよ。もっとも・・・」
いったん、言葉を切って。
わたしの視線が確かにその顔に向けられたのを確認してから。
「自分でも相当の鬼畜だとは思ってますがね」
にやりと。
あの笑みを。
「ただし貴女の期待を裏切るようなことはしませんので・・・期待通りとは限りませんけどね」
そう・・・もう、完全な意思を持つ操り人形。自らの意思で従っているだけにその罪はより重い。
今、わたしは和恵のことを完全に考えていなかった。脳のほんの片隅にも和恵の影がなかった。
ただ・・・自分のことだけを・・・
もう、言い訳はできない。和恵のことを言い訳にはできない。
これから何をされるのか・・・それはわからないけれども、自分から望んだという現実が・・・この火照りから解放されたいという蝕まれたわたしの思考の中で唯一じくじくと痛みを訴えていた。
和恵のことは、もう、意識の欠片もなかった。
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