十六夜残月抄・崩壊編
13話「闇にうごめくもの」

地下への秘密の抜け道をくぐってから、もうどれくらい歩かされたのだろうか。憑依している”幻老斎”のなすがままに、一歩また一歩、よろけさせながらも奥へ奥へと引きずり込まれていく。いや、速女の肉体を完全に制御し、なりきったような口調で話すその姿は、もはや”速女”と呼ぶほうがふさわしいだろう。
それを心の奥で歯がゆく思いながらもなす術もない速女。自分の体、自分の脚で歩いてはいるのだが、どこに向かっているのか検討もつかないのだ。頭も盛りのついた獣のように発情したまま放置されており、気だるく何かがブスブスくすぶり続けているかのようだ。まるで夢の中を歩いている不思議な浮遊感。現実であって現実でないような識別力の欠如。
このままではダメだ、と心の奥底にいる自分が、叫びつづけているのは分かる。
しかし、そこから先に頭が回らない。いったい自分はどうすべきなのか....
どんよりと濁ったように、頭が重い..

しかも一時たりとも身体を休ませないために、両手で女陰棒への愛撫は継続されているのである。
その度にキリキリと揉み抜かれるような愉悦が身体を包んでいく...
そこから巻き起こる肉欲が、速女の志気を犯していくのだ。快楽による精神の支配。
ひしひしと最後の砦に迫る自分の内部の敵に対して、速女は排水の陣での攻防が繰り返している。今や速女は、”速女”のみならず、自分の肉体に加え、己が精神の一部とも戦わねばならないのだった。それは決して見えない戦い。それと同時に、決して救援の手が伸びることもない孤独でつらい戦いでもあった。

うぐぅ..いったいどこへ連れて行こうというの?
それに先ほどの自信たっぷりの台詞がどうにも気がかりだ。
な、何を企んでいるの...あああ...
女淫棒からの刺激が子宮の中まで響いてくる。
しかし、こちらからは”速女”の心は全く読めない。第一正常な思考すら今は奪われているのだ。
それは無理というものでろう。
でも、もし鏡で自分の顔を覗くことができれば、それを見ることが出来ただろう。
そんな速女の内心の怯えをあざ笑うかのように、喜色満面の笑みを浮かべた己の横顔を。
「うふふ、もうすぐ、もうすぐよ....お前にもはや逃げ道はないのよ..速女ちゃん」

そこは薄暗い洞窟が長々と続くような、なんとも狭い通路であった。
先ほどまで居た部屋と比べると、心なしか室温が低いようだ。が、それは絶対的な温度が低いというよりはむしろ、体感温度が低いというべきか、体の中心から冷えていくような、何かに対して体全体で拒否反応を示しているかのような薄ら寒さであった。この世ならざるものの気配...鍛えぬかれたくノ一の嗅覚が例え性欲に狂わされていようとも、それを敏感に嗅ぎ取り、危険信号を上げてきているのであった。

何、この異様な気配は...それにこの臭気。
甘酸っぱい、爛熟した果実のような匂い。それでいてどこか動物的な、なにかの体液のような濃厚な匂い...そういったものが複雑に絡み合って生み出されたような得体の知れない醜悪な臭気がまだ見えぬ洞窟の先の方から、まったりと体を包み込むように漂ってくるのだ。
その気が肌に触れただけで、泡立つようなゾクゾクする過敏な反応が沸きあがってくる。
はぐぅ!!こ、これは...この感覚は....
チリチリと、羽毛の毛先で全身の性感を丹念に掘り起こされていくような....この悪夢のような感覚は...
まるで毒気にあてられたようである。それもとびきり強力な毒気....色欲という名の...
そう、これは紛れもない催淫作用である。それも気だけで反応してしまう想像もできないくらい極上の代物。
あああ、またおかしくなっちゃうぅぅ...!!
肉体を制止しようとするが、歯止めがかからない。
ドクン、ドクン...
動悸が激しくなり、身体中がジンジンするが分かる。
肉の欲望すらも、血液に乗って身体の末端の細胞の一つ一つにまで伝えられていくかのように。

くちゃっくちゃっ....
それにさっきから歩くたびに、足元からあがるこの音はいったい何なのか。
いつの間にやら剥き出しの岩肌も、じっとりとした粘り気を帯び、床はぬかるんでさえいるようだ。いや、ただ水気が多いだけではない。脚を進めるたびに、糸を引くように足の裏にまとわりついてくるような嫌悪感。よく見るとねっとりとした粘菌のようなもので、覆われているのであった。

はぐぅぅ、いったいここはどこなのよ! こ、この先に何があるというの...?
一層の不安が速女に振り掛かる。しかし歩みが止まることはない。確実に奥へ、また奥へと連れ込まれていく。その度に、情欲の瘴気はますます濃厚になっていき、毛穴から体の芯へと染み込んでくるのだ。拭おうにも拭い去れない嫌らしい感触。速女は着実に引き返すことの出来ない領域にまで踏みこんでしまったことに気付かされる。真綿で首を締められるように、ゆっくりと絡め取られていく...
ああ、こ、このままでは、周到に用意された罠の中に誘導されてしまうだけ...なんとかしなければ..うぐ!!ダ、ダメよ、こ、ここで感じてしまっては....はぐぅぅ!
暴走寸前の肉体を相手に、必死でイカないように奮闘する速女。

と、その時だった。
ぐぉおおおおお.....ぐりゅぅぅううううううう...

まさに地の底から聞こえてきたかのような、咆哮が辺り一面に鳴り響いた。大地を切り裂き、さらにその下から響き渡るような威圧感。

な、何なの、今のは...
しかし戸惑う心とは裏腹に、体はどんどんその方向に向かわさていく。
い、いやよ、やめて!!
ジリジリと焦れるが、身体はまるで言うことを聞かないのだ。

ピチャ...ピチャ...
一層汁気を増した通路の天井からは、粘っこい雫が糸を引きながら垂れ落ちてくる。そしてまだ見ぬ奥の暗がりからは、何かが床の上を這いずり回っているような音さえも聞こえてくるのだ。それも小動物が駆け回っているくらいの音ではすみそうにない。並みの大きさではない何かが、奥に待ち受けているというのか?

ずりりぃぃぃぃずりぃぃぃ...くちゅくちゅ...

まただ。
反響で距離感がつかめないが、床を擦るような音が聞こえたのは事実だ。
姿を見せないだけに、逆にその存在感を否応なく印象付けられる。
壁には元から寄生していたヒカリ苔が鈍い光を出している。次第にその暗さにも目が慣れてきた。

しかしそこで、唐突に通路は終わりを告げたのである。
まだらに毒々しく色づいた粘液が壁という壁を覆い尽くしており、そこから先に進むべき道がない。
行き止まりなの....?

ドンッ!!
そう思うまもなく押し出されるような格好で前のめりになって倒れ込んでいく。するとまるで速女を迎え入れるように壁状になった粘膜が二つに割れたのだ。そのまま吸い込まれるように、内部へと導かれる。
はぁ、はぁ...ど、どこよ、ここは...うぐ...?

気がつくと、これまでの通路に比べ、ひときわ広い空間の中に立っていた。薄暗いため視界はいまひとつ良くはないが、すぐ向こうから例の音が聞こえてくるので、側に何か得体のしれないものがいることだけは確かなようである。そしてなによりも、これまでと比べ物にならないくらい濃密な瘴気! それはここが、忌まわしき化け物の巣窟であることを如実に物語っているのである。
立っているだけなのに、ジンジンと皮膚を通して身体の奥底まで犯されるような悦楽。

くはあぁ、なんてところなの...うぐぅ、身体の芯から突き崩されていってしまう...こ、この感覚は....まさか...

漠然とした不安感が現実のものとなっていく。速女にとっては思い出したくもない記憶。そう、これと同じ感覚を、先ほど嫌というほど味わった現実を!
そうである。これは、あの汚らわしい淫獣の体液を塗りつけられたときと全く同じ感覚なのだ! しかも今回はその体臭だけで、あの強力過ぎる淫獣の原液を塗りたくるのと同じくらい官能が狂わされ、突き崩されていく...まるで比べ物にならない催淫効果なのだ。

ああ、頭が...自分のものでなくなっていってしまう..あぎうぅ、こ、こらえきれないくらいかってに...ああ、だ、ダメなのよ、我慢しなければ...

性欲に壊れた体だけではなく、性欲昂進状態の頭が一層高揚する。
イキたい、イキたい、イキたい!!!!
その狂った脳の呼びかけに呼応するかのように、身体が一斉に淫らに蠢いていく。
これ以上無理といわんばかりに天を向いた女陰棒。
ぷっくりと、飛び出んばかりに尖り立つ乳首。
枯れたかと思われた淫水も股間から粘っこい白濁した本気汁を垂らしながら、つーと垂れ下がり、床に大量の染みを作っていく。。
直接瘴気を吸いこんだ全身の発汗も尋常なものではない。
ときおり痙攣までみせるくらいまでに...しかし、それは見ようによっては期待に打ち震えるかのようだったが、確かにそのとおりである。身体は完全に猛り狂い、とにかくイクことだけを願ってやまないのだ。

はぁ、はぁ、はぁ...な、なんてとこなの、ここは...あああ、いるだけでおかしくなってきちゃう...うぐぅ...イキたい...ダ、ダメよ..ああ、でも....

呼吸をとぎらせんばかりに、激しく息をしながらも、
「はぁ、はぁ、はぁ、どう、ここは?気に入ってもらえたかしら? ぜぇ、ぜぇ、ふふふ、怯えているようね...あはは、かわいいじゃないの。じゃあ、今から見せてあげるわ...そんなあなたにこの部屋の恐ろしさを!! たっぷりと味合うがいいわ!」

その言葉に感応するかのように、部屋全体が明るくなっていく。

ひぎっ!!!
そこで速女は恐るべきものを見てしまった。
今彼女が立っているのが、円筒状に広がる広間の中心である。そこから見て、部屋の奥手...今まで暗がりで見えなかった場所に、まがまがしいまでの奇怪な生物が陣取っていたのだ。
体長は、3間(約5.5メートル)はあろうか...一見してくらげのようにも見えるでっぷりと丸みを帯びた身体。おのが重量のためか全体的に押しつぶされ気味に見える。赤銅色にぬめりを帯びた体は、不気味なほどテカテカと光沢をあげている。それもそのはずだ。よく見ると、おびただしい体液がドクドクと音を立てて分泌されている。白濁した、非常に粘り気を帯びた粘液を...
どこが頭で、どこからが胴なのか検討もつかない軟体動物。身体の中央にぽっかりと穴が2つ開いている部分が眼なのかもしれないが、判別は不能である。しかしこの怪物を物語る恐ろしいことはそれだけではない。最も嫌悪すべき事。それは不気味な体液で滑光る触手が、何十本、いや、何百本と醜い身体から伸び、それぞれが意志を持っているかのようにうねり狂っているのだった。
この世のものをは到底思えない光景...

はぁはぁはぁ...こんなの相手に今から戦わねばならないの....はぐぅぅ、ほひぃ!うぐ...こ、この身ひとつで...

「...こいつこそは先ほどお前に味わってもらった淫盲虫の成獣よ。なんせ女の蜜が大好物でねぇ..あの触手を絡み付けて雁字搦めに女体を拘束してから、枯れるまで吸いとるしか脳のない最低の化け物よ...雌犬以下に欲情したお前の最期の相手にしては、ふさわしいと思わない? あはは!!! でも..そんな化け物でも呼び出したあたしには絶対服従。あたしの精神に感応して意のままに動かせる忠実な僕ってわけ。かわいいと思わない?」

ツーン...
その体液が垂れ落ちる度に、鼻腔を刺激する嫌な匂い。それは吸いこむだけで官能を狂わせにかかってくる。

「ふふふ、その体液にも、さぞ愛着がある事でしょうね...でも、これ、幼獣の時とはまるで違う違うわよ。その効き目は優に数十倍。魔界の高級淫魔ですら、触れただけで色に狂わされれ、腰が砕けて、最後は泣いて許しを請うという魔性の液体...人間の、それも生身の肉体で勝負して、本当に大丈夫かしらねぇ...」
最初からやめるつもりなどないくせに、からかって楽しんでいる。

なにせ、体臭を吸いこんだだけで、これなのだ。あれがもし直接肌に触れたとすれば...考えただけでも恐ろしい。

..あ、あの原液のす、数十倍..?じょ、冗談じゃないわ...で、でも、あふぅぅ、ぐ、ど、どうすれば...

「あなたのためを思って、こんな最高の舞台を用意したのよ。念には念を入れてね...ふふふ、もう絶望の二文字しか思い浮かばないでしょ、あなたの頭の中には...これでも希望の文字がまだ見えるのかしら。それとも...とっくにあきらめて最後までイケると喜んでいるのかしら...ほほほほっ」

こんな化け物相手に自分は無防備な裸体を曝したままな挑まねばならない。そして思う存分嬲られてしまう...それでも最後までイク事は許されない。いえ、望むことすら許されないのだわ...
絶頂を迎えたときが速女の最期になるからだ。
本当は速女とて、イキたいのだ。普通の女として、それは当然の欲求であった。
これまで延々と続けられた生殺し責めは、憎みある幻老斎の手によって無理矢理行われていただけ、まだ救いがあったかもしれない。これからは、自分自身の手で自らを生殺し責めにかけるようなものだ。自分で自分を苦しめるだけの、救い難いまでの煉獄。
更には身体が”速女”に支配されている限り、一方的に責められるだけの理不尽な戦いを続けねばならない。
そんな絶体絶命の状況に、唇を噛みしめたくなる。
せめて、この身体が自由ならば.....

「あら、あっさり観念しちゃったというの? つまんないわね。例え駄目だとわかっていても、あがき苦しむ無様な姿をあたしは見たいのにねぇ...へぇ、そう...身体の自由を返して欲しいの? ええ、いいわ...じゃあ、特別に許してあげる....」

あっ!
その瞬間、身体に感覚が戻ってくるのを感じる。
手が、手が動くわ! それに脚も!!
確かに地獄のような責めで、身体中はクタクタである。それに濃瘴気をたっぷり吸い込まされた肉体の官能は、極限を遥かに超えたところまで追い込まれてしまっている。一触即発、触れれば手折れん状態なのである。まともに戦えるとは到底言えないのだ。
しかし、自分の意思で、再び動けることに一縷の望みを繋ぎたい速女は、かすかな望みに賭けるしかない。次第に身体中に血が通うように、温かい生身の身体を実感していく。
なんだか懐かしい感触がよみがえる。生気が戻ってくるようだ。
苦しいけど...これで、なんとかしなければ...
目の前の化け物に、ボロ雑巾のような肉体で勝てる見こみは相当に低いと言える。
でも、もう後がない速女とすれば、戦って勝つしか道はないのである。
例え弱った体でも、さっきまでみたいに動かせないよりは幾億倍はましだし、勝機もどこかに必ずあるはずだ!

そんな、内心の速女の心を読んでいた”速女”がこの上なく楽しそうに何かをつぶやく。
すると、かろうじて立っていた速女の身体が、骨が抜かれたように、そのままストンっと床に突っ伏せてしまう。
な、なに....力はまるで入らない...
そ、それにこの焼け付くような感覚は....あぐぅ...!!!

「うふふ、このまま解き放つほど、甘くはないのよ、あたしは。あなたの身体にわずかにあった体力の残り火を全て燃焼させ、それを性中枢に叩き込んであげたの...どう、身体が火照ってどうしようもないでしょ。これで性感がこれまでの倍くらいになったはずよ....」

あははは、”速女”は愉快でならない。
仮初の希望を与えておいてから、それを無残に踏みにじる。暗く長い洞窟を這いずり回り、ようやく出口まで達しようかというところで、再び地の底まで引き戻すように。
その脱力感、無力感。
希望がぬかよろこびであったと気付かされた瞬間のどうしようもない虚無感。
これほどむごい仕打ちはあるだろうか...
しかし速女のような簡単に屈伏しない女を見ていると、いくらでも虐めてみたくなってくるから不思議だ。いくら責めても責めたりない...
ぐふふ...もっともっと苦しめてあげるわ...だから...簡単に堕ちたりするんじゃないのよ...

「あ、熱い、身体がとろけそうよ...はぎぃぃぃ」
遂には声まで取り戻した速女だが、その第一声は苦悶に満ちた叫び声だけであった。

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