速女は、そこで眼を覚ます。まだ夢の中にいるようで身体もだるい。
次第に意識も、はっきりしてくる。
寝転がっているみたい...
そのまま、辺りを見まわしてみる。
ここは...どこ...?
まだどうも頭は覚醒しきってはいないようだ。いまいち状況がつかみきれない。
その薄暗さにも目が慣れてくる。灯りが消えているのでよくわからなかったが、どうやら元居た部屋みたい..
速女が踏み込んで、幻老斎と死闘を繰り広げた部屋...
逆につかまり数々の陵辱の限りを受けた部屋...
その名残と言わんばかりに、速女を縛っていた縄が、解かれたまま床に転がっている。
しかし、先ほどまでの忌まわしい淫獣は影も形もない。
まるで、夢か幻を見ていたかのように消えてしまっているのだ。
側に目をやると、幻老斎の骸が冷たく転がっている。腹から流れた血がどす黒く固まり始めているところを見ると、あれから随分時間は経っているようである。
その顔を見つめてみる。
恨めしげにこちらを見上げる眼。
何かを語りたそうな口。
まぁ、気のせいね...ふっ、と口の端に笑みを浮かべる。
美しい肌には淫獣に撫でまわれた痕跡などは見うけられない。
艶かしい色艶と、若若しい張りのある肌。
元のままである。
やがて、痺れきっていた身体に、血が巡り始め、力をこめられるのを確認してから、すっと立ちあがる。
少女の顔つきのも落ち着きが戻ってくる。精気が眼にも宿っているのだ。
凛とした眼光は、色責めで呆けた時の後遺症などは、微塵も感じさせない。
「いやだわ...どうりで寒いと思ったら、素っ裸じゃないのよ」
とっぷりと日が沈み、いくら室内とはいえ、晩秋の夜気に曝されては、うすら寒いのも当たり前だろう。部屋の片隅に押し込められていた着衣を見つけ、すばやく身にまとう。
自分を取り戻すのに、かなり成功したことを確信する。
もう大丈夫、どうやら終わったようだから...
そうして、今気付いたように、縄の横に転がっていた珠をいとおしげに拾い上げる。
それは、青白いなんともいいようのない不思議な光を放っている。
そうして、部屋を出るとき、もう一度幻老斎の死体をかえりみる。もうなんとも思わない。
そう、これでいいのよ...
そのまま速女の姿は闇に消える。
幽鬼牢の幻術の仕掛けもなんなく突破し、速女は眼下に里を見下ろす位置にまでやってきた。里との間には鋭い渓谷が横たわっており、どれくらいの深さかわからない谷がぱっくりと口を開けている。だが、速女の脚力をもってすれば、回り込むにしてもさほどの里まで行きつくのに時間はかからないだろう。
そこまで来て、速女はほっと安堵の吐息を吐く。軽く深呼吸をして、身体の調子を確かめる、万全...申し分ない...
しかし...何か妙である。
なぜ先刻は抜け出せなかった幽鬼牢の仕掛けから今回は容易に脱出できたのだろうか?
幻老斎が死んだため、結界が切れたのだろうか?
いや、そうではない。それは簡単なことなのだ。
なぜなら、自分が作った仕掛けを抜け出すことくらい容易なことは、無いからだ。
「やはり若いって素晴らしいわ...ふふん...今度は一体何をやろうかしら」
不適な笑みを浮かべ、里を見下ろす。
新たに手に入れた速女の力では、里の一つや二つくらい、簡単につぶせることだろう。
もしかしたら、一国を乗っ取る事もできるかもしれない...
そんな不埒なことを考えながら、手にした珠を掌の上で玩ぶ。
身体を乗っ取られた上で、繰り広げられる数々の幻影の前に遂には屈し、今はこんな小さな珠の中に固く閉じ込められてしまった”以前の速女”の精神...この瞬間も、この中では永遠に終わる事の無い快楽と戦いつづけていることだろう。
「どれどれ...」
速女は珠を覗き見る。
「うふふ、苦しんでる、苦しみ抜いているわ...焦らし責めもつらいけど、連続していきつづけるってのも、もっとつらいですもの...あは、またいっちゃった..もう何百回イッたのかしら? それに、だいぶ壊れかかっているみたい。玩具としたら、もう役には立たないわね」
手の上でポーン、ポーンと跳ね上げると、そのまま谷底へ投げ入れる。地の底まで続くような深さだ。もう見つかることもあるまい。しかも外部からは決して壊れることはない堅牢な檻。その中で、自分が誰であったかわからなくなるまで、速女の色地獄は続けられるのだ。
珠は、物悲しい光を放っていたかと思うと、吸い込まれるように消えて、遂には見えなくなった。
それを見届けた速女の姿もいつのまにか消えていた。
いずこへ行ったのかは、定かではない。